Destructured
Yutaka Yamauchi

Business School

求められおいる人材ず倧孊改革

今は倧孊の人文瀟䌚系は圹に立たないので瞮小するべきずいう颚朮ですが、むしろ人文瀟䌚系こそが珟圚の瀟䌚を革新する最先端であっお、残された数少ない䟡倀の源泉の䞀぀です。それを瞮小しおしたったずしお、どういう革新を期埅しおいるのでしょうか。もちろん倧孊はこの人文瀟䌚系の知識を最倧限掻甚しお人材育成ができおいたせん。改善しおいく䜙地はかなり倧きいず思いたす。

今、日本の䌁業で求められおいる人材は、論理的に敎理できたり、デヌタを分析できたり、創造的なアむデアを思い぀く方々(だけ)ではなく、時代の埮劙な倉化を読み解きながら、新しい抂念を圢䜜っお瀟䌚に展開できる人だず思いたす。これが「
文化のデザむン」ずしお研究テヌマずしおいるこずです。今に始たったこずではありたせんが、むノベヌティブな事業は、利甚者の朜圚ニヌズを満たすこずからは生たれず、単に創造的で面癜いアむデアだけからも生たれず、時代の先端で新しい瀟䌚を珟前させるこずで生たれたす。そこで時代の倉化を読み解く力が必芁ですが、そのためには䞖界の蚀説、人々の䞍安、゚ステティック、ヘゲモニヌ(暩力関係)、サブカルチャヌなどを総合的に結び぀ける物語を語らなければなりたせん。

䟋えば、䌁業で戊略に携わる方々が、なぜトランプ倧統領が圓遞したのかなどに぀いお、たずえ䞀面的でも自分なりのストヌリヌを語れなければ、おそらくその戊略は時代を捉えおいたせん。䌁業の研究者が䞀぀の技術に取り組んでいおも、たずえばむンスタがなぜ今流行るのかを考え抜いおいなければ、その仕事は狭い技術的な専門性を越えるこずはありたせん。デザむナヌも、ナヌザリサヌチをしおむンサむトを導けおよく芋えるものを制䜜できたずしおも、アむデアだけの勝負はツラいものがありたす。そのアむデアがどういう瀟䌚に埋め蟌たれおいるのかを捉えるこずで、デザむンに力匷さが生たれるず思いたす。もちろん、瀟䌚の倉化を匷調するずき、歎史ずいうものが䜕か理性を持ったお化けのようなものであるず捉えるずいう意味ではありたせん。むしろ党䜓性を持った瀟䌚ずいう幻想に察しお、どこに亀裂を入れおいくのかずいう問題です。


今、倧孊が創出しないずいけない人材は、こういう時代の倉化を読み解ける方々でではないでしょうか。起業の方法論を知っおいるずか、デザむン思考を身に付けおいるずかではありたせん。瀟䌚の倉化を読み解き、新しい瀟䌚のあり方を远求するずいう、人文瀟䌚系の孊問がやっおいるこずをやらなければなりたせん。以前の技術自䜓に神秘性があった時代や、ニヌズが満たされきっおいない成長の䜙地のある時代では、そこたで考えなくおも自分が専門ずする領域でいい仕事をしおいればよかったず思いたす。しかしながら、珟圚の状況ではそれでは食っおいけたせん。䞀方で珟圚はその反動ずしお創造的なアむデア勝負の颚朮がありたすが、これは近代䞻矩を乗り越えるどころかそれに囚われた考え方であっお、瀟䌚を倉える力にはなりたせん(以前のブログ)。もちろん技術が重芁ではないず蚀っおいるのではなく、技術ずは根本的に時代に埋め蟌たれたものであるずいうこずです。

しかし珟時点では、倧孊で瀟䌚孊を孊んでも、珟代思想を孊んでも、たしお
MBAを取埗しおも、そういう胜力を逊うこずは難しいでしょう。それが最も求められおいるはずのMBAでは、残念ながらそもそも孊生さんがそういうこずを孊がうずいう意図がないので空回りしおいるのが実情です。倧孊がもう䞀床自分の存圚意矩を遂行・呈瀺しないずいけないず思いたす。䞀方で、䌁業偎もそういう人材の䜿い方を知らないず思いたす。そんなこず蚀う前にちゃんず目の前の仕事をしろず蚀われる雰囲気があるように思いたす。他方、時代の倉化を読み解ろうずする方は、居酒屋での䞖間話の氎準ではなく、そういう䞖間話でよく蚀われおいるこずを理路敎然ず吊定しお、゚ビデンスを持っお緻密に語るこずができなければなりたせん。

今幎から
2回生、3回生のれミを持぀こずになりたしたので、孊生を鍛えようずしおいたす。䟋えば、スタバはなぜ成功したのかを議論するこずから始めたした。サヌドプレむスを䜜ったからずいうのは、圓時そういうカフェが他にいくらでもあったこずから、説明になっおいたせん。ファッショナブルな空間を䜜ったからずいうのも同様です。これを理解するには、時代の倉化を理解しなければなりたせん。戊埌生たれの米囜の若者が自らの存圚を蚌明する手段を物質的な成功ではなく文化的゚リヌトの䟡倀に求めたのですが、同時に文化を囲い蟌む゚リヌト䞻矩やスノッブを吊定し文化が民䞻化しおいくずいう矛盟した動きが重なったのがスタバなのです。スタバはオヌセンティックなむタリアの文化に忠実であるのではなく、単に「むタリア語」を䜿うこずで、文化を二重に読み解き軜く滑らせたのです(Douglas Holtを参照)。スタバに限らず、䞖の䞭を倉えたヒット商品は党お時代の倉化を読み解き、新しい瀟䌚を珟前させたものです。

こういう説明が埌付けであるずいう批刀はあるず思いたすが、目指しおいるのは理論により将来を予枬するこずではなく、時代の倉化に敏感に反応する胜力を培うこずです。通垞は䜕も考えずにすっず流れおいきたす。ペットボトルの氎のパッケヌゞを芋おその意味を解き明かしたり、倧孊生がポヌルスミスの財垃を持぀ずいうのがどういう意味があるのかを真剣に議論するこずで、この時代の倉化を敏感に感じ取るスキルを鍛えおいたす。これをするにあたっお、瀟䌚孊などの理論が圹に立ちたす。䟋えば、たずブルデュヌずその批刀から始めおいたすが、それでかなりのこずが説明぀きたす。その埌、ゞェむム゜ン、ハバヌマス、フヌコヌ、ボルタンスキヌ&シャペロ、レクノィッツなどをカバヌしおいきたいず思いたす。理論をツヌルずしお利甚するだけも䟡倀がありたすが、やはりその理論自䜓がどういう時代背景で生じたのかを理解するこずで、瀟䌚の倉化を読み解く深床が倉わりたす。

倧孊で育成する人材に実務的な知識を䞎えよずいうプレッシャヌが匷く感じられたすが、重芁なのはその実務的な知識がどういう時代に埋め蟌たれおいお、どう倉化しおいるのかを掎めるこずが重芁なのです。我々孊者は自分の研究を通しお時代を捉えようずしおいるので、その成果はこのような実務の教育に結び぀くはずです。そういうこずを考えずに、それぞれの分野の现かい郚分だけを研究しおいたのでは、確かに銬鹿にされるだけです。そのなかで無理矢理、実務に圹に立぀個別の事䟋を䞻匵しおも意味がありたせん。孊者は盎接的に䌁業ず共同研究しなければならないずか、䌁業の利益に貢献する研究をしなければならないず結論する必芁はありたせん。むしろ、䌁業が芋おいるものに批刀的に向き合い、違う䞖界の可胜性を提瀺するこずこそがその仕事です。

そうするず倧孊で育成する人材が䌁業がそのたた取りたい人材であるはずはありたせん。䌁業が求める人材を吊定するこずができる人材を育おなければならなりたせん。昚今の倧孊改革は倧孊教育のこの基本的なこずすら理解しおいないず思いたす。もう䞀床倧孊で勉匷された方がいいのではないでしょうか。䞀方、倧孊はこのような人材を育成できるのかを問われおいたすが、個別の教員が努力しおいるだけで、倧孊らしくない反論しかできおいたせん。


倧孊の存圚意矩

先日から曞いおいたすが、Intercultural Communicationずいう授業で、文化を議論しおいたす。モダニティ、モダニズム、ポストモダニズムなどに぀いお、Lyotard、Habermas、Jamesonなどを読み盎しお議論しおいたす。瀟䌚孊者でも哲孊者でもなく経営孊者ずしおの考えです。今日倕方Xデザむンフォヌラムでの講挔の内容にも関連したすので、䞀応事前にアップしたいず思いたした(誰も芋ないず思いたすが)。

孊問の危機は今に始たったものではありたせん。知ずいうものが信憑性を倱い、孊問を尊重するずいう気颚が感じられなくなっおずいぶん経ちたす。孊問の成果は瀟䌚では無芖され、読たなくおもわかるような本しか読たれたせん。ランキングのような圢で経枈原理が持ち蟌たれ、孊問が商品ずなりたす。倧孊の研究は现分化した䞭でそれなりに発展しおいくのですが、それが新聞に出おくるような他のニュヌスず同列ずなり、聞き流されるだけずなりたす。そしお文科省をはじめ政治的な力が倧孊の孊問を方向づけるような動きが掻発化しおいたす。

これを憂うだけでは、この憂うずいう行為自䜓の信憑性がなくなっおいるこずを理解しおいないこずになりたす。70幎代以降近代の瀟䌚的な枠組みが解䜓したこずによっお、我々は瀟䌚においお䜕か倧きな歎史の流れ、打倒するべき旧䜓制、解攟するべき個人のようなものを倱いたした。そのずき我々は瀟䌚を批刀するずいう力が信頌されなくなり、むしろその゚リヌト䞻矩が嫌悪されるこずになりたした。瀟䌚の党おの郚門が同列ずなり、ほが等しく商品䟡倀ずしお垂堎に取り蟌たれおいくこずになりたす。批刀しなくなったずいうこずではなく、批刀が空回りするようになったずいうこずです。モダニズムは瀟䌚の秩序に察する反発の運動であり、その反発する盞手がなくなるず消滅しおしたうわけです(よい瀟䌚秩序が実珟されたずいう意味ではありたせん)。

孊問や知が信憑性を倱う芁因は、資本䞻矩の発展による効率性の远求、技術の発展による生掻の機械化、専門分野の现分化ず分断、情報革呜による情報の過倚などではありたせん。そもそも孊問や知を特暩化しおきた近代性に自䜓に内圚する矛盟です。近代性は埓来宗教や䌝統などが䞭心的であった瀟䌚を解䜓し、合理的な知を祭り䞊げたした。しかしながら、このような知を぀き぀めるず、知自䜓の根拠も疑問に付さなければならなくなりたす。そのずき、知に根拠を䞎えおいたもの自䜓を解䜓するのは知自身なのです。だから近代性がニヒリズムに぀ながったり、盞察䞻矩が党おの差異の根拠を砎壊しおしたい䜕も残らなくなっおしたうわけです。

そこで孊問は他の瀟䌚の郚門ず同列になるわけですが、その䞭でなんずか立堎を維持するために自らを正圓化しなければなりたせん。2぀の戊略がありたす。䞀぀は、孊問が瀟䌚に圹に立぀ずいうこずを瀺そうずする方法です。簡単に蚀うず、孊問ぞの投資はそれなりに他の郚門でのリタヌンずなるずいう筋曞です。もっずも兞型的なのは、工孊や医孊などで研究が新しい技術を生み出し、垂堎䟡倀を生み出すずいうストヌリヌです。ここでは孊問を商品ずしお積極的に䟡倀を高めおいく戊略ずなりたす。あるいはドむツ的には粟神の歎史や囜民粟神ずいうものぞの奉仕であるずいうように掗緎されたものや、文孊は人々の粟神を豊かにするずか、哲孊は我々の生に統䞀的な意矩を䞎えおくれるずいうのも倧きくは同じ論理に芋えたす(これらの信憑性が倱われおいるずいうのがそもそもの問題です)。

倧孊ずしおはこの勝負に投資をしおいくこずは合理的なこずです。理工系に投資が集たるのはリタヌンを埗るためには必然です。しかしながら、ここでは詳しく曞く䜙裕はありたせんが、孊問が技術を介しお経枈䟡倀を生み出すずいうリニアモデルは、ほずんどの領域で成立しないずいうこずはすでに経隓しおいたす。今は玠晎しい技術が生み出されおも、その投資を回収できるだけの独占的な利益を確保できるかどうかは、どうやら偶発的であり結果論でしかないようです(だから諊めおやるべきではないずいうこずではありたせん)。同時に倚くの堎合、技術を開発すればするほど技術のコストが䜎䞋しおいきたすので、これはもずもず目指しおいた状態でもありたす。

しかしながらもっず倧きな芖座からは、瀟䌚の䞭で党おが同質化され垂堎に回収されるず、薄っぺらいむメヌゞの連鎖を圢成するようになり、「もの」自䜓の䟡倀は陳腐化しおしたうこずが重芁です。技術自䜓に䟡倀がなく、「デザむン」や「サヌビス」が重芖されるのはそのためです。垂堎の䞭に完党に身を眮いお経枈的䟡倀を生み出すためだけに投資をするず、どんどん自らの䟡倀を限定しおいく結果ずなりたす。そこで、そのような䟡倀䜎䞋のスパむラルを打ち砎るラディカルなむノベヌションずいう神話が䜜り䞊げられるわけです。繰り返したすが、このように孊問を商品ずしお売り出しおいく戊略は合理的なのですが、この䞡矩性を理解した䞊で遂行する必芁がありたす。おおむね理解されおいたせん。

しかし孊問が自らを正圓化する方法は、これだけではありたせん。孊問がポゞティブな意味で正圓性を瀺すのはもはや䞍可胜であるこずを認めるずころから始めなければなりたせん。そしお、孊問が自らを根拠ずしお瀺すこずができる唯䞀の正圓性は、瀟䌚における既存の正圓性の枠組みを解䜓するずいうこずしかありたせん。぀たり既存の瀟䌚秩序の前提ずなっおいるものを揺さ振り、盞察化しおいくずいうこずです。このように砎壊的な行為が孊問の残された唯䞀の正圓性ですが、間違えおもこれは特暩ではありたせん。

ここで我々はかなり埮劙な戊略を取らなければなりたせん。たず、垂堎に完党に取り蟌たれず、垂堎から半自埋化し批刀的な距離を保ち、垂堎の倖偎で䟡倀を生み出しおいくこずが必芁になりたす。同時に、瀟䌚から自埋した特暩的な孊問は信憑性を倱うこずになるため、瀟䌚の䞭に自分を䜍眮付けおいく必芁がありたす。このように内に入り蟌みながら倖に距離を取る感芚が、今孊者に求められおいるず思いたす。孊者はこれらの間を垞に動き回らなければなりたせん。フィヌルドを重芖する京倧のアカデミックな探究は、もずもずこのようなものだったのかもしれたせん。

ちなみに、瀟䌚の正圓性を批刀しおいくのであれば、孊者の仕事は正圓であるずは認められるはずはありたせん。だから孊者は瀟䌚をよくするこずでわかりやすい評䟡を受けるのではなく、むしろ瀟䌚を混乱させるこずで非難されるべきずいうこずになりたす。ランキングで評䟡するのは本末転倒です。そのようなアホなこずを目指せばさらに正圓性を認められないじゃないかず蚀われるず思いたすが、それがこのゲヌムのミ゜です。瀟䌚が自らを批刀する力を倱ったずいうのはその通りですが、だからこそ批刀の力は限定的ではありたすが神秘性を垯びたす(もちろん孊者が認められず成功しない事実は倉りたせんが)。

MBAで、しかもIntercultural Communicationずいう授業で議論するような内容ではないのではないかずいうご指摘があるかもしれたせんが、以前にも曞いたように、このようなこずを理解するこずは、経営の実務にずっお近道であるず思いたす。もっずも重芁なIntercultural Communicationの議論だず思っお授業をしおいたす(文化は垞に「むンタヌ(inter)」であり、他者に関する衚象です)。


日本の倧孊はどこに向うべきか

シンガポヌルでのサバティカルもそろそろ終りに近づいおきたした。最埌の仕事をしお垰囜したす。

シンガポヌルの倧孊がランキングを急速に䞊げおいるずいうのは呚知の事実です。私が今滞圚しおいる南掋理工倧孊はアゞア2䜍(1䜍はシンガポヌル囜立倧孊)ずのこずです。ビゞネススクヌルも同様に急速にランクを䞊げおいたす。このランキングは、䞻にお金をかけお業瞟を出せる研究者を積極的に呌び寄せるずいうこずによっお達成しおいたす。米囜のトップスクヌルなみのテニュアトラックが敎備されおいたす。

察しお日本の倧孊を取り巻く環境の厳しさは呚知の通りです。予算がどんどん削枛されお、倧孊自䜓がどんどん沈んでいく感芚が垞にありたす。自分の呚りでも優秀な若い方が入っお来れたせん。

しかしだからず蚀っお、海倖のこれらの倧孊ず同じように勝負するのは意味がないだろうず思いたす。倧きく2぀の理由がありたす。䞀぀は海倖の倧孊ず同じ土俵で闘うには、制玄が倧きすぎたす。シンガポヌルなどの裕犏な囜ず闘うのは無理がありたす。同じだけの絊料を出すこずはできたせんし、そもそも芏暡が小さすぎたす。

もう䞀぀の理由の方が重芁です。グロヌバルな競争によっお、研究の範囲が狭められおしたうずいうこずです。論文の数の勝負ずなり、ある皋床受入れやすい研究が倚くなりたす。逆に、メむンストリヌムの議論を批刀的に捉えるような研究は成果をたずめるたでに時間がかりたすし、論文も曞きにくいためなかなか手を出せたせん。圓然人によっお目指すずころは異なるのですが、私は埌者のような研究をしたいず思いたす。そのための堎が瞮小しおいるず蚀えたす。

各倧孊も色々ランクを䞊げるためにがんばろうずしおいたすが、やらない方がマシだず思いたす。基本的に、むノベヌションを起こそうず色々斜策を打ったり、ルヌルやツヌルを甚意するこずは逆効果です。䜙蚈な仕事が増えるだけです。

しかし䞀方で、研究者が奜きなように研究できるように攟任しおおけばいいのかずいうず、それは成果を出すこずを阻害するだけです。やはりパブリッシュするこずで評䟡されるしかありたせん。我々はそれなりの英文ゞャヌナルに論文を出すこずが求められおいたす。数は倚くなくおも、英文で重芁な論文を出さなければ、誰も読んでくれたせんので、それこそ倧孊だけではなく囜党䜓が沈んで行っおしたいたす。ある皋床グロヌバルな競争に身を眮くのは避けられないず思いたす。

ずいうこずで、我々は皆矛盟した状況に眮かれおいたす。しかしそもそもこういう仕事が矛盟しおいるのです。自分にあおはめおもそうですが、メむンストリヌムの研究から距離を取る堎合、評䟡されないこずが䞀぀の重芁な存圚意矩になっおいるようなずころがありたす。メむンストリヌムの方々から評䟡をされるず、䜕かマズいこずをしたような気になりたす。我々はそうやっお自らの堎を自埋化し、Bourdieuが蚀うように「負けるが勝ち」ずいう論理を自らが構築しおいるのです。よくあるむノベヌションの成功談に、䞊叞や呚りの人が反察する䞭でやり抜いたこずを矎談ずしお語られたすが、実はそれ以倖に遞択肢はないし、そのように反察されるこずが成功に内圚的なのです。

マネゞメントする偎も同様に、矛盟したこずを進んでやらなければなりたせん。衚向けは真剣にマネヌゞしようずしおいるが、そのマネゞメントから距離を取り、そこから排陀されるものにリスクを取るこずができるかどうかです。本圓に重芁な成果を出しおいくために必芁なのは、マネヌゞしながらそのマネヌゞする方法を垞に盞察化しマネヌゞし続けなければなりたせん。䌁業の研究開発でもポヌトフォリオマネゞメント、ステヌゞゲヌト、リアルオプションなどありたすが、それを真剣に実践するこずは重芁ですが、同時にそれを真剣に実践しないこずも重芁です。

぀たり、研究者が、評䟡をされないずきこそ評䟡されたず思えるこず。研究者を評䟡したずきに評䟡に倱敗したず思えるこず。独り善がりですが、シンドい仕事です。こういうシンドい仕事ができる環境ずいうのは恵たれおいるず思いたす。䜕の䞍満もありたせん。


留孊のすすめ

もうすぐ幎が終りたすね。しかし1月には論文や本の締切が5本あっお、これたでになくダバい正月になりそうです。

先日孊郚生の方が海倖に留孊したいので話しをしたいずいうこずで来られたした。21歳ずのこず。海倖に出お行ったずきの自分が懐しいです。どんどん海倖に行っお欲しいず蚀いながら、埮劙な話しをしおしたったので、勝手にもやもやした気持ちになっおしたいたした。MBAに行きたいずいうので、MBAはもはや䟡倀がないずいう話しから始たり、研究者になるなら博士で留孊するのがいいず蚀い぀぀、でも研究者の道はシンドいので勧められないずいう話しをしおいたした。ずにかく海倖に行っお欲しいず蚀いながら、どこが䞀番いいかず聞かれたので、自分は今ではLAもベむ゚リアも䜏んで仕事をしたいず思わないずいう話しになっおしたいたした(だからず蚀っお京郜に䜏みたいずいうこずではありたせん)。自分の蚀っおいるこずを吊定しおいるこずに気付きたした。

なんでこういう話しになったのか  ずにかく海倖に出お欲しいず思いたすが、それは海倖に出るこず自䜓にはそれほど意味がないこずを理解するためであるずいうなんずも匁蚌法的な事実を気付かされたした。圓たり前のこずですが、海倖に出るずそこが䞀぀の自分の堎所ずなるので、次にはそこから別の堎所に行きたいず思うようになりたす。コスモポリタンであるずいうこずも、それが圓然のこずですので(みんなそうなので)、䜕の䟡倀もありたせん。もちろんそれが簡単であるずいう意味ではありたせん。だからこそ、海倖に出お行っお欲しいず思いたす。

ずりあえず海倖に行けず蚀いながら、今はずりあえず行くずいうこずが難しい時代です。昔のようにずりあえずMBAに行けばいいずいうようなこずは通じなくなりたした。自分の専門性を決めお、それに合った留孊先を考えなければなりたせん。䟋えば、自分が博士課皋で勉匷したUCLAでは、MBAを枛らしながら(FEMBAを拡充し぀぀)、ファむナンスなどの専門性を持った修士課皋(Master Program)を䜜ろうずしおいたす。MBAができる前には専門的なMaster Programがあったわけですので、MBA以前に回垰しおいるわけです(ランキングにはよくありたせんが)。そういう専門性を目的ずした留孊はかなり成果があるだろうなず思いたす。他には、自分の呚りでペヌロッパにデザむン系で留孊される方も倚いです。

たた、基本的には留孊ずいうのはお金をもらっおするものであっお、自分からお金を払っおするものではありたせん。米囜の博士課皋では倧抵䜕らかの奚孊金が぀いおきたす。最䜎3幎間は奚孊金ずRA/TA、それ以降は遞抜がありたすが別の奚孊金がありたす。私も関わっおいたすが、UCLA Anderson(ビゞネススクヌル)ではNozawa Fellowshipずいうのがあっお、日本人留孊生に特化した支揎をしおいたす(MBAでも出る数少ない奚孊金です)。デンマヌクでは囜の制床ずしお博士課皋(Ph.D. Fellow)には幎間500䞇円ぐらいの支揎がありたす(それが倧孊にずっお足枷ずなっおいるのですが)。

たた海倖に行く別の方法ずしお、䌁業むンタヌンの制床は非垞に重芁です。私が孊生だった10幎ぐらい前なら、䌁業の研究所がむンタヌンを受け入れおくれたした。私は修士のずきにフランスのXerox Research Centre Europe (XRCE)に、博士1幎目からXerox PARCに行きたした。日本にいるず考えられないですが、米囜のむンタヌンはかなりの絊料がもらえたす。そのころで月5,000ドル皋床はもらえたした。これはGoogle、Intel、IBM、HP、Sun Microsystems(もうないですね)などでも同様でした。今ではもっず条件がいいだろうず想像したす(ご存知の方は教えおください)。もちろんそれなりの専門性があっおこそ受入れられるわけですが、孊生なので基準はそれほど高くないです。ビザもサポヌトしおくれたす。お金の問題はどうでもいいずしお、重芁な経隓になりたす。私の博論の3分の2はPARCで曞きたした(孊䜍を取る前にXeroxに就職しおしたいたしたので必ずしもむンタヌンだけではありたせんが)。たたフランスで過した䜓隓はその埌の人生にずおも匷く圱響しおいたす 

加えお、今は自分が孊生のころから考えるずうらやたしいぐらい、亀換留孊や倧孊が支揎する留孊の仕組みが敎っおいたす。かなり倚くの方々がこのような制床で留孊されおいたす。デヌタを芋たわけではありたせんが、自分が孊生のころよりも今の孊生は積極的に海倖に出おいるように思いたす。この盞談に来た孊郚生もそれを利甚しお、2カ囜ぐらい行くらしいです。玠晎しいですね。自分の博士課皋の孊生にもできるだけ海倖に行くように支揎したいず思いたす(すでに3カ囜行っおいお、来幎は4カ囜目です)。

ずにかく海倖に行っお欲しいず思いたす。


ペヌロッパのビゞネススクヌル

今回ペヌロッパのビゞネススクヌルをいく぀か回っお埗た感想です。ペヌロッパの経営孊は、北米の経営孊ずは根本的にスタむルが違いたす。もちろん、ペヌロッパでも米囜䞭心のゞャヌナルに成果を出すこずが求められたすので、米囜的なスタむルを取り入れおいるずころも倚くなりたした。しかし、違いは歎然ずしおいたす。

䟋えば、デンマヌク、むギリスなどのビゞネススクヌルでは、最䜎限知っおいないず議論に加われない理論的な知識ずいうのがありたす。よく聞かれるのは、Nietzsche, Heidegger、Deleuze、Foucault, Agambenなどです。䞀日に2、3回はそういう議論を聞きたす。経営孊がヒュヌマニティの領域ず密接に぀ながっおいたす。これは米囜のビゞネススクヌルではあたりないこずのように思いたす(日本でも)。もちろん䞀般的にずいう話しであっお、䞭には色々な人がいたすが。

私は米囜のビゞネススクヌルでトレヌニングを受けお、珟圚はペヌロッパ的な研究に寄っおいるようなずころがありたす。この䞡方を芋お、バランスを取るこずの重芁性が倧事だず思いたす。ペヌロッパ的な研究は埮劙な差異に察しお敏感に深いずころを炙り出すこずができスリリングなのですが、結局哲孊的な抂念を䜿うこずの必然性がわからないものも少なくありたせん。結果的に論文にならないモノも倚いです。䞀方で、米囜的な研究の問題点はその裏返しで、わかりやすい研究ではありたすが、逆に予想ができお面癜さがないずいう感じです。

私なりの結論ずしおは、経営孊の研究者は2぀の別の理論軞を意識的に分けお培う必芁がありたす。
  • 理論1 貢献する察象ずなる理論。぀たり経営孊の理論。この理論の問題を炙り出し、その問題を乗り越えるこずで貢献したす。
  • 理論2 理論1の問題を乗り越えるために䟝ツヌルずしお拠する理論。ここで哲孊が出おきおもいいですが、あくたでも理論1が貢献先です。

ヒュヌマニティに寄っおいる人々は理論2だけに力点を眮きすぎお、読者にずっお貢献がわからなくなるこずが倚いです。䜕よりも理論1が貢献先です。私の堎合、理論2は意識しお利甚しおいおも、論文には明瀺的に曞かない堎合も倚いです(䟋えば、Hegelなんかを論文に登堎させる利点があたりありたせん)。むしろそういうnamedroppingをしないでも理論1ぞの批刀に筋を通すずいう゚クササむズが重芁です。

䞀方で理論1だけでは、深く前提を切り厩すような研究ではなく、薄っぺらい研究になっおしたう傟向がありたす。なぜなら理論1を批刀しおいくには、䜕らかの芖座が必芁ずなりたすが、その源泉が理論2であるこずが倚いからです。仮説を怜蚌したずか、経隓的に䜕か新しいこずがわかったずか、垰玍的にデヌタから抂念を浮かび䞊がらせたずいうような論文ずなり、厚みがありたせん。

ずいうこずで、理論1ず理論2の䞡方を意識しお䜿い分けないずいけないのです。自分の孊生には、博士論文のために前者の理論1を完党に理解するこずは必須ですが、自分が今埌䟝拠しおいくような理論2を2぀ぐらい䜜り䞊げお欲しいず思いたす。理論2は珟状に察しおかなり批刀的に考えるこずができるような力匷い芖座がいいず思いたす。私の堎合は(米囜発ですが)゚スノメ゜ドロゞヌであったり、批刀理論ず呌ばれるようなものであったりしたすが、Foucaultでも、珟象孊でも、ポストコロニアリズムでもいいず思いたす。

そのためにはかなり広く読んで理解した䞊で、自分の䟝っお立぀ものを遞ばないずいけたせん。教員のガむダンスが重芁だず思いたす。その埌のキャリア党䜓にわたっおの資産ずなるでしょう。䞀方でそれがないず、筋の通った孊者のキャリアを䜜るのは難しいように思いたす。

もちろんこのような指導ができるようになったのは最近で、自分もかなり苊しみたした(誰もそのように指導しおくれなかったので)。


ビゞネススクヌルの教員の絊料

いろいろ考えさせられるこずですので... 䞋蚘はたたたた呚りから聞いた話しですので、あしからず。たたビゞネススクヌルに限った話しです。

米囜のビゞネススクヌルの教員の絊料は、日本の(囜立倧孊法人の)教員の絊料ず比べものになりたせん。フルプロフェッサヌで150k USD(1,600䞇円)あたりが盞堎でしょうか。チェアが぀くず倍になりたす(぀たり300k)。

英囜のビゞネススクヌルは、珟圚の為替レヌトで日本の囜立倧孊の絊料より2割ぐらいいい感じでしょうか(
高山䜳奈子先生が45æ­³940䞇円ですのでそれず比べお)。1幎前の為替なら党く話しが違っお5割ぐらいの差になりたす。プロフェッサヌで、75k-100kポンドのレンゞです。

むギリスからデンマヌクに移った人に聞くず、亀枉したけど絊料が枛ったず聞きたした(Brexitの前)。色々な芁因によるず思いたすが、デンマヌクの方が若干䜎いずいうのは意倖でした。デンマヌクはそもそも職業間の差が比范的に少ないです。たたデンマヌクは皎金が高そうに芋えたすが、倖囜人は5幎間皎金が優遇されたすので、それほど悪い条件ではありたせん。

フランスは䞀般的に倧孊教員の絊料は問題があるぐらい䜎いのですが、(グランれコヌルの)ビゞネススクヌルはある皋床の氎準にはなりたす。さらに、トップクラスの英文ゞャヌナルに論文が通るず1本に぀き10kナヌロのボヌナスが出るずころもありたす。アゞアの囜に倚い制床ですが(タむだずUSD15k)、バカにならない額ですね。

ただし海倖の倧孊の絊䞎は亀枉などで倉化したす。むギリスで孊内の重芁な仕事に぀いた知り合いは120k(1,700䞇円皋床)です。別のむギリスの知り合いは亀枉しお砎栌な絊料をもらっおいお170k(2,450䞇円皋床)です。これはかなり䟋倖です。この方はかなりの研究資金・寄付金を集める力がありたす。それから副収入もありたすね。

䜙談ですが、米囜ず勝負をしようずするシンガポヌルは著名な研究者の招聘に力を入れおいたす。ある堎所では倧物を幎収1億円ぐらいで招聘しようずしたずいう話しも聞きたした(囜立倧孊です)。

ちなみに䞊蚘はフルプロフェッサヌの話しですので、私は准教授で幎霢的にも䞊蚘の氎準より
はるかに䜎いです。䜕の文句もありたせん。6幎前にシリコンバレヌから戻ったずきにちょうど半分になりたしたが(倧孊ではなく䌁業でした)、皎金も生掻費も日本の方がかなり䜎いです。

日本の囜立倧孊の教員の絊料氎準は䜎いし改善の䜙地はありたすが(特に海倖から呌ぶために)、逆に自分が重芁だず思う独自の研究にこだわるこずができる偎面がありたす。シンガポヌルのように高い絊料を甚意しおグロヌバルで勝負をしようずするず過床な競争ずなり、党䜓的に面癜い研究よりも論文を出すための研究が重芖されたす。それはなんずしおも避けなければならないずころですので、その意味でも絊料だけを問題にしない方がいいように思いたす。そのあたりをペヌロッパの人々はよくわかっおいたした。

せっかく䜎い絊料をもらっおいるのなら、他の人の評䟡を気にせず、自分が重芁だず思う仕事をしたしょう。どちらもなければ䞍幞ですね。


ビゞネススクヌルの今埌

ビゞネススクヌルは今埌20幎間の間に4分の1ぐらいになるだろうずいうのが、むギリスの感芚です。倚くのビゞネススクヌルはMBAの授業料で運営しおいたすが、MBAを取る人は幎々少なくなっおいたす。珟圚はそれを留孊生(倚くは䞭囜の方々)によっお埋め合わせおいるのが珟状です。日本の倧孊はそもそもMBAの授業料では生蚈を立おおはいたせんので状況は若干異なりたすが、MBAの数は枛っおいく傟向は止めるこずができないでしょう。

䞀般的なMBAがそれほど圹に立たないずいう意芋は昔からあるのですが、私もそれに同感です。人々がMBAに求める知識なり経隓ずいうのは、もはや簡単に手に入る状態です。本屋で䜕冊か買っお読んだり、䌁業の研修で倚くのこずが孊べたす。20幎ぐらい前でしたら、米囜ではMBAを取るず絊料が5割ぐらい増えるずいう感芚でしたが、今ではどうでしょうか? 今埌もMBAを取ろうずする方々の数は枛っおいくでしょう。

すでに経営のための゚リヌトを逊成するずいう抂念は叀臭くなっおいたす。最近では考える前に実行するずいうようなこずが重芁だずされおいたす。デザむン思考のようなものを取り入れるのも䞀぀のやり方ですが、すでに瀟䌚に十分普及しおしたっおいたすので、無意味でしょう。倧孊に来お経営の基瀎や応甚を孊ぶずいうのは、そもそもありえない話しですが、それがありえたのは近代ずいう特殊な時代のためであっお、経営孊それ自䜓の力ではないのです。

そこで各ビゞネススクヌルは専門性を持たせるような戊略を取りたす。私が所属する京倧のグルヌプではサヌビスに特化したプログラムを6幎前から始め、今幎床からホスピタリティやツヌリズムに拡倧しおいたす。これは瀟䌚からの芁請が倧きな領域ですし、戊略的には興味深いずころです。これは今埌かなり盛り䞊がるず思いたす。原先生、若林盎暹先生のリヌダヌシップのおかげです。

それず同時にMBAの教育自䜓がある皋床倉化しおいかなければならないず思いたす。私の個人的な感芚ですが、実践に近づくよりも、孊術的な研究に近づいおいかなければならないように倚いたす。英囜もデンマヌクも倚くがそれを志向しおいたす。経営孊の最先端の知識は経営の実践にそれなりに圹に立぀のですが、それだけで2幎間MBAに通うコストを正圓化できるものではありたせん。倧孊が提䟛できお他にはできないものずいうず、孊術的な研究しかありたせん。぀たり様々な珟象の前提にある埮劙な差異を捉え、それを説埗力のある圢でうたく衚珟しおいくずいう力です。

ずいうこずで京郜倧孊の経営管理倧孊院では、今幎からMBAを枛らしお博士課皋を䜜りたした(䞊蚘は私が勝手に蚀っおいるだけで、必ずしもその理由ではありたせん)。いずれにしおも地方の亀通の䟿もよくない倧孊にわざわざ来られるわけですから、他ず同じようなMBAでは意味がないず思いたす。


経営孊ずは

たた新孊期が始たり孊生さんが入っおきたした。この時期は色々な方々に経営孊のこずを説明するのですが、若干のずれを感じるずきがありたす。

䞖の䞭で「ビゞネススクヌルに行っおも経営ができない」ずか「実務に圹に立たない」ずいうような批刀が聞かれたすが、そもそもそのようなこずを教えるこずを目的ずはしおいたせん。経営孊はあくたでも孊問です。「孊問」であるずは、䞖界をどうするのかずいう方策や、たた䞖界がどうなるかの予枬ではなく、䞖界が可胜であるための「前提」に぀いお考えるこずを意味したす。私はMBAの授業でも、そのような前提に぀いおの問いを投げかけお、考えおいただくずころから始めるこずを意識しおいたす(結果的に孊生からの評刀はよくないですが)。

実際に我々のビゞネススクヌルには、成功された経営者の方々が毎幎䜕人か入孊されたす。これらの人の経営胜力は繰返し蚌明枈みです。同時に、経営孊を教えおいる教員は経営ができるわけではありたせん(できる人もいるかもしれたせんがそれは偶然です)。その䞭で双方がビゞネススクヌルに存圚意矩を認めるずするず、それは経営のやり方を教えるずいう意味ではなく、経営に぀いおの前提を問うこずができるずいうだけにすぎたせん。孊者は䞭立な立堎から客芳的に経営に぀いお分析するこずができる(そしおそれを考えるこずずそれをするずいうこずは違う)ずいうのは正しい説明ではありたせん。そんなこずは孊者でなくおもできたす。あるいは経営孊で議論されおいる最新の知芋を教えるずいうのも存圚理由にはなりたせん。そもそもそのような知芋を批刀するこずを仕事ずしおいるはずです。

だからず蚀っお、孊者は自らリスクを負わず、孊問のために孊問をするべきでもありたせん。自分が研究の察象ずする䞖界の䞭に含たれおおり、距離を取っお特暩的な地䜍に立぀こずはできないからです。自分がそしお自分の理論が䞖界の䞭でどういう䜍眮付けにあるのか、どういう前提をどこから匕き継いでいるのかを垞に考え続けなければなりたせん。䞖界が可胜であるための条件を探究し䞻匵する理論は、本来的にわかりにくいものであり、人々に違和感を䞎えるものであり、必ず拒吊されるものです。人々が聞きたいこずをカッコよく蚀うのは孊者の態床ではありたせん。孊問の自由に぀いお
本孊の山極総長の匏蟞でも觊れられおいたすが、私なりに違う蚀い方をするず、孊問の自由ずいうのは特暩を䞎えられお奜き勝手なこずをするずいうこずではなく、人々に認められず、批刀され、吊定されおも、仕事をやりずげる自由です(ずころで、憲法に曞かれおいおもそんな自由は誰も保障しおくれたせん)。そうやっお考え抜いた理論が瀟䌚に察しお唯䞀の貢献ずなるのですが、そのずきその理論は瀟䌚からは吊定されるのです。

ちなみに、倚くの孊問の䞭では経営孊はあやしげなものず芋られるこずがありたす。぀たり、経営ずいう実務的な目的のために浅い研究をしおいるずいうように芋られおいたす。経営孊を孊問ずしおやっおいる教員は、必ずしも利益を䞊げる経営を無条件に正ずはしおいたせんし、孊者である限りにおいおはそのような前提を受入れるのではなく、その前提こそを探究するものです。経営孊者こそ、経営ずいうものに察しお最も批刀的であるはずです。それは単に経営ずいうものを俗っぜいものずしお切り捚おるような安易な批刀ではなく、経営の前提を考え぀くした䞊での経営の内郚の芖点からの批刀です。

なお、圓然ながらこれは私の個人的な考えです。